コラム
【08.10.08】思わぬ展開で教育委員会に意見具申
娘の学校公開での出来事
2日間の学校公開。「なんの授業を見に来るの? 絶対に来てよ」と娘から念を押されて、学校に出かけました。
授業を見たのは算数。テストの点数でクラスをわける習熟度別授業。
娘いわく「たまたまテストの点数がよくて、一番早いクラスになっちゃった」。
(先日、先生方の集まりでこのことを話したら、「テストでいい点をとっても喜べないなんて、本当に悲しいこと」と言われて、ハッとさせられました。)
たしかに積極的な子が多くて、そのなかで娘が気後れしているのが伝わります。
他のクラスと学んでいるやり方や、場合によっては内容も違ってくるのかもしれません。
見比べてみようかとも思いましたが、逆につらくてできませんでした。
「手を挙げない」宣言をしていた娘は、ほんとに手を挙げず、それでも母親が来たことは喜んでくれたようで、ほっとしました。
次の「体育」まで見て行こうと歩き始めたところで、
「道徳教育の講義がありますので、ぜひ保護者のみなさんご参加ください」の放送。
副校長先生が「ぜひご参加ください」と、廊下にいるお母さんたちに声をかけていました。
人が集まっていないのかな、と、ちょっと気になって指定された教室の前を通りかかったら、案の定、ひどく集まりが悪い。
これでは気の毒だな、と、成り行きで参加することにしました。
この間、区の教育委員会のやり方には、いくつも言いたいことがあります。
道徳教育のあり方にも意見はたくさんあります。
それならこの際、ちゃんとお話を聞いた上で、問題提起してみよう、と腹をすえました。
お話は、なぜ道徳教育を重視するのか、文部科学省の施策と、東京都教育委員会の方針の説明。
文科省の施策は、国会秘書として、まさに論戦をいどんだ分野。
東京都の「心の教育改革」の「子どもに学校のことを話させよう」スタンスには、強圧的な石原都知事の顔がうかんできます。
お話が終わって、参加者の感想を短時間聞くことに。
「論戦ではないんだぞ。党派の問題でもないんだぞ。保護者としてどう話をしよう・・・」と、講義を聴いている間中、考えていました。
私が思い切って、教育委員会の人の目をみつめながら言ったのは大きく2つ。
�‘仔舛亮�業では、文章を読んで、ルールを守るとか、公共のものを大切にとか、登場する人物の気持ちに即して学ぶが、それはやっぱり、誰かの体験であって、自分の体験ではない。その限界がある。
クラスの中の子どものトラブルとか、日常生活のなかでの出来事をどう考え、どう行動するか、実体験に即して話し合う、学ぶことが大切ではと思う。
�△海ΔいΥ覯茲如∋臆端圓�なかなか集まらない一因は「説教される」からではないか。もっと子どものことで悩んでいること、うまくいかないこと、遠慮せずに話していいよ、一緒に考えようという企画にしてもらえたらと感じている。
「ほしがっても与えない」というが、これは保護者の努力だけでは限界。店には物があふれているし、娘も鉛筆を大量に持っている。友達と交換するためだという。クラスでも話し合ってほしかったが、個別の問題で終わってしまった。保護者を追いつめずに、励ましてほしい。
意見交流はできませんでした。
でも、うなずいて聞いてくれたので、少し伝わったかな、と思ったり。
終了時間になって娘のクラスに行って「副校長先生に呼ばれて、授業には行かれなかった」と娘に説明。
「私のこと話したりしてないよね」――ドキ、鋭い!
教育委員会の企画というとつい敬遠したくなるのですが、相手の懐に飛び込んで、子どもと教育の問題で国民的議論をするつもりで(大げさかな)、意見を表明するのも大切なことですね。

