日本共産党 田村智子
コラム

【14.08.09】被爆者の「平和の誓い」に心臓がはねあがる

長崎市の平和祈念式典に参列して

「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。」
8月9日、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典。
被爆者代表の城臺美彌子さんが、怒りを抑えられないという声で述べた瞬間、心臓がはねあがるような衝撃を受けました。

手元に配布された「平和の誓い」全文には、「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、武力で国民の平和を作ると言っていませんか」と抑えた言い回し。
来賓席に参列する安倍総理を目の前にして、抑えきれずにほとばしり出た、噴き出した、そういう言葉に聞こえました。

続く言葉も、書かれた文章とは明らかに思いの強さが異なりました。
「武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。」
(配布された文章は「武器輸出もやめてください。戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しています。」)

式典後、「被爆者の怒りを軽くみるなよ」と一緒に参加していた仁比聡平さん。
私の席からは居並ぶカメラマンの背中で城臺さんの姿が見えなかったのですが、集団的自衛権について述べる時、城臺さんは原稿から目を離して安倍総理の方に顔を向けていた、と仁比さん。

被爆者は命をかけて、戦争は嫌だ、戦争をするなと、ただひたすらに声をあげてきた、祈ってきた。この思いをなぜ踏みにじるのか。
被爆者の怒りを安倍総理にぶつけるかのように、ほとばしった言葉は、69年間にわたり苦しみ抜いてきた被爆者の心底からの怒り。だからこそ威力がある、突き刺さる。

一方で、安倍総理が広島の平和祈念式典で述べた言葉は、昨年とほとんどすべてが同じ。
長崎でも、「コピペ」批判が起こりました。しかも、被爆者の苦しみに心を寄せる言葉はなく、破壊された町を復興させた先人の努力をたたえ、自分自身の核兵器問題での取り組みを自画自賛するような内容。
この言葉が誰の心に突き刺さるのか、誰の心を揺り動かすというのか。

「平和への誓い」に先立って、長崎市長が読み上げた「長崎平和宣言」も素晴らしい内容でした。
これは、市民の代表が何回も起草委員会を開いて練り上げた内容。市長は代表して読み上げるというものです。

核抑止力の根拠とされている、中国、北朝鮮との緊張について、「北東アジア非核兵器地帯構想」の検討を始めるよう提言。
これは日本共産党が、北東アジアで武力行使をしないことを条約で約束しようと呼び掛けていることとも共鳴します。

集団的自衛権についても、正面から安倍政権に物申す内容。
「長崎は『ノーモア・ナガサキ』とともに『ノーモア・ウォー』と叫び続けてきました。日本国憲法に込められた『戦争をしない』という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもあります。
被爆者たちが自らの体験を語ることで伝え続けてきた、その平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求めます。」

広島でも、長崎でも、被爆者の代表と懇談の時間を持った安倍総理。
しかし視線を合わせようとしない、懸念や不安に真摯にこたえるどころか、最後には「見解の相違です」と捨て台詞。
これが一国の首相の姿なのか。
安倍総理は、自分を追い詰めるのは国会論戦だけではないことを思い知ったことでしょう。
(野党の中にもシンパシーが色濃い質問があるだけに、国会論戦よりも厳しい追及を受けたともいえるでしょう)

ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ナガサキ ノーモア・ウォー
日本国憲法を踏みにじる暴挙を断じて認めない、許さない、燃え立つような被爆者のみなさんの声を日本中に広げなければ。
(写真は式典に参加する党国会議員の代表。赤嶺政賢衆院議員、仁比聡平参院議員とともに)

 

式典が始まる前の出来事二つ

 
私たちが式典が始まる45分前に座ったのは、一般の参列者席の最前列。
昨年、オリバー・ストーン監督と並びになったポジションに今年も座ることができました。(長崎の党委員会が早めに申し込んでくれるため。地元の皆さんに感謝です。)

今年も周辺の席には海外からの参加者の姿が。
着席してしばらくすると、男の子のたどたどしい英語が聞こえてきました。すぐ後ろの席をふりかえると、「PRESS」と書かれた名札を首から下げている親子の姿。

話しかけてみると、小学4年生、沖縄から参加とのこと。なんと名刺までいただきました。非核宣言自治体協議会の親子記者と書かれています。
海外からの参加者に、ノートに書いた英語で一生懸命話しかけ、平和の思いをメッセージとして書いてもらい、これを新聞にするとのこと。
がんばってね、と私も名刺を手渡すと、「できた新聞を送ってもいいですか?」「もちろん! 楽しみにしています」

開会の時刻が迫る頃、赤嶺政賢さんの隣に、海外からの参加者が着席。途端に目の前に並ぶマスコミのカメラが集中しました。
どなた? 顔を拝見してもわからない。でも気になる。
シャッター音がおさまった頃、目の前の若い男性(カメラマンの助手?)に、あの女性はどなたですかと、思い切って聞いてみました。

GHQ長崎軍政部司令官ビクター・デルノア中佐の娘さん、パトリシア・マギーさんとのこと。
と言われても?? 式典後、ネット検索すると、地元の新聞やテレビが注目して報道してきたようです。
以下、報道記事などの情報から。

ビクター・デルノア氏、1946年9月、長崎に着任。被爆者の惨状を目の当たりにし、原爆投下の正当性に疑問を持つようになった。
当時、原爆被害の報道はGHQによって全面禁止、その中で、被爆した少女の手記の出版許可をGHQに求めるも認められず。
しかし被爆者の要求に応え、1948年、第1回 原爆犠牲者追悼 長崎平和祈念式典にあたる「文化祭」の開催を長崎市に許可。
その際に述べたと伝えられる言葉は…。
「原爆は人類を滅亡させる無用の長物、二度と原爆を使ってはいけない」

「文化祭」にデルノア中佐はメッセージを寄せた。
「私たちがここ浦上に参集したのは、戦争が人類を破滅へ導くことを悟るため」
「(原爆による)犠牲を単なる犠牲に終わらせないことを誓おう」

被爆者と向き合う、戦争の被害・悲惨さと向き合う、そのことが生き方に大きな影響を与える。あらためて安倍総理に、あなたは被爆者の言葉をどう受け止めているのかと聞きたい。

(「長崎新聞」デジタル版 2014年6月9日を主に参考にしました。http://www.nagasaki-np.co.jp/news/k-peace/2014/06/09122546.shtml)