日本共産党 田村智子


田村 私が参院選挙の東京選挙区で立候補したとき、2006年の夏でしたが、「子どもと子育てを考えるシンポジウム」を開き、浅井先生にもパネリストとして出席していただきました。会場からも、子育ての経済的な負担や父親の長時間労働など切実な声がありましたが、いまはさらに深刻な事態ですね。

浅井 最近は若者の就職がなく低賃金なので、子どもたちはいつまでも自活ができないため、“子育ての期間”が非常に長くなっていますね。親たちは、その長い期間、切り立った山の稜線を歩いているような感じです。もし誰かが病気をしたり失業したら、家族ごと生活困難におちいってしまう、そんな緊張感や不安感が非常に大きいです。
  その不安感のベースにあるのが、経済的なものだと思います。勤労者の収入が急減しているのです。97年から2007年の10年間で、「児童のいる世帯の1世帯当たり平均所得(年額)」は、767万から691万円に76万円も減っています。

田村 1割も実収入が減っているということですね。


自分で稼ぐ<vレッシャー



浅井春夫さん

浅井 さらに日本の特徴は、691万円の総所得のうち賃金が92・5%を占め、児童手当など社会保障給付金はわずか0・8%にすぎません。これはヨーロッパ諸国と比べると異常です。たとえばフランスでは賃金が占める割合は7割程度です。3割は現金給与以外で国と企業が何とかする、ということなんですね。

田村 日本の親たちは「すべて自分で働いて稼がなくては」とがんばっているのですね。

浅井 もっと深刻なのは母子世帯です。賃金は185万円、総所得は236万円にすぎません。母子世帯に支給される児童扶養手当を入れても、社会保障給付金は総所得の11%です。貧困をきわめる母子世帯にさえ、わずか1割強しか社会が応援していない。

田村 私も子どもの小学校のPTA役員を決めるとき、何度電話しても連絡がとれない母子家庭のお母さんがいたんです。やっと日曜の朝に電話がつながったら、まだ寝ていた、と。昼も夜も働きづめ、それでなくては生活できない、家にいるときは寝ているので、授業参観も個人面談もいっさい出られないとのことでした。子育てを楽しむどころか、自分と子どもで生きていくのに精いっぱいなんですね。
  国会で秘書をしていた02年に、児童扶養手当の削減がされたのはほんとうに悔しかった。あの改悪は、収入が増えるごとに手当を細かく減額するというもので、懸命に働いている母子家庭のお母さんを、もっと働きなさいと叱咤し、働いても働いても楽にならない仕組みです。あまりにむごい。これに自民公明はもとより民主党まで賛成してしまった。許せませんでした。
  その後、生活保護世帯の母子加算も廃止しましたが、その理由が、働いている母子世帯と生活保護を受けている母子世帯を比べて、生活保護の方が収入が高くなってしまうから削る、と。収入が低い方にそろえるという発想は許しがたいです。世論のきびしい批判を浴びて、新政権はさすがにこの母子加算は復活させましたけれど。

浅井 そうした発想は「劣等処遇の原則」といわれてきた福祉政策の根本的な問題です。貧困者の生活水準は最下層の労働者の生活レベルよりも低いものでないといけないというもので、結局、国は、貧困者が生活の質をぎりぎりまで落としてはじめて施しの「お恵み」を与えるというものになってしまいます。


親時間

浅井 経済的なゆとりだけでなく、親たちは時間のゆとりも奪われていますね。  フランスがすべていいとはいいませんが、うらやましいなと思うことは多い。日本では年次有給休暇の平均が1年で8・4日ですが、フランスでは年間5週間のバカンスです。1カ月以上休むとぼけてしまうので、バカンス先から帰ってきて地元でまた数日“バカンスぼけ休暇”を取る場合もあるそうです(笑い)。  年間の労働時間も日本は約2000時間、さらにサービス残業を加えれば2300時間程度になるといわれています。一方フランスは1400時間。この差はほんとうに大きいですね。ヨーロッパでは“時間のゆとりが豊かさの基本”だという考え方が定着しているのです。  ドイツでは労働組合が“親時間”、つまり家庭で子どもとゆったり向かい合えるような時間をつくれと要求し、使用者に労働時間短縮を迫っています。  それから、女性だけでなく男性も子育てにかかわれるような労働時間にしていくべきです。

田村 働いているお母さんだけでなく、専業主婦のお母さんも同じだと思います。『女性のひろば』の「子育てブログ」に、「離乳食が作れない。料理をするのもいや。子どもをつくって失敗だったと思った」というお母さんの話が出ていましたが、24時間育児と家事にだけ専念しなければならないのでは、ゆきづまった思いがするのは当然です。  私も息子を“慣らし保育”で保育園に預けて1人で喫茶店に入ったときの解放感は忘れられません。子どもはかわいいけれど、自分のための時間も必要なんだと実感しました。  「子どもも大切、私も大切」でないと、「自己犠牲」の子育てになってしまう。子どもだけでなく親の生き方を支援するシステムを日本でもつくりたいですね。

浅井 子どもにとっても親から解放される時間は大切なんですよ(笑い)。  お父さんの参加、祖父母の知恵、地域の力、公的な子育て支援策がうまくかみあわないと、子育てをサポートすることはできません。


命ギリギリで生きる子ども



田村智子さん

田村 その公的な支援のひとつの柱である保育園がいま、入りたくても入れない待機児童がいっぱいいて、大変なことになっています。

浅井 一昨年あたりから不況の中で夫の収入は減る、妻もパートで働かなければならないという家庭が急速に増えました。

田村 昨年4月の時点で2万5千人の子どもが入れない。いったいこの子たちは毎日どうやって過ごしているのでしょう。保育団体の電話相談や、日本共産党議員への生活相談も相次いでいますが、5歳の子が2歳の子の面倒を見ながら留守番しているなど、命にかかわるギリギリのところで子どもたちが生きている実態が報告されています。
 待機児童が急増している千葉では、公園でおむつをつけた幼い子が公園で1人で遊んでいると、共産党の市議に電話がかかってきたそうです。駆けつけてみると、近所の子で、お父さんはリストラで失職し就職活動中、お母さんは夜の仕事をしているから昼間は寝ているということが分かったそうです。いつ事故が起きても不思議ではない危険な状況です。
 1950年代には預けるところがなくて、日雇いのお母さんたちが仕事に出かけるときには子どもを押し入れに押し込んだ、庭の木に縄でしばった…という話を聞かせていただきました。そのお母ちゃんたちは切ない思いをパワーにかえて、保育園をつくる運動を広げていき、たくさんの保育園ができました。でも、いままた同じ事態になってしまっている。これだけ待機児が増えているのに、一昨年あらたに増えた認可保育園は全国でたった16カ所です。
 先日、厚生労働省に子育て支援策について交渉をしたのですが、国は待機児急増の原因をきちんとつかんでいません。ただ厚労省は、「国が保育施設のために予算をつけても自治体が建設しない」といいます。なぜ自治体が保育園をつくりたがらないか、都市部では土地代が高いのにそれへの国の補助がないことが足かせになっています。また、国が公立保育園への補助金を廃止して、自治体に交付するお金の中にひっくるめてしまった。交付金は総額で減らされていますから、財政難を理由に公立保育園がどんどん減らされているのです。

浅井 それに、小泉構造改革のもとで総務省が公務員の総数を減らせという方針を出してきました。教員や警察を減らすわけにはいかないけれど、保育園の職員は削減しやすい。保育園を民間委託して子どもの定員は確保しつつ、公務員は減らせるわけですから。
 実は日本の公務員数は人口で比べるとイギリスやフランスに比べて圧倒的に少ないのです。日本の公務員は少ない中でものすごくがんばって働いている。公務員削減方針を撤回させないといけません。

田村 建設用地でいえば、自治体がもっている土地がたくさんある。ところが、東京でも都営住宅の建替えで高層化して、空いた土地は民間デベロッパーに売り払っている。都民の財産をくらしのために有効に活用するべきです。

浅井 国立社会保障・人口問題研究所の推計では、100年後は多くても現在の半分程度の人口になるという。それをもとに「こんなに人口が減るんだから必要ない」と。

田村 人口が減っていく、「だからいらない」ではなく、「だから産みたい人が産めるようにしよう」としないといけません。

浅井 政府の「子ども・子育てビジョン」(5カ年計画)では、保育所定員を1割増やす(26万人分)、3千億円の予算をつけるとのことですが、どのような具体策で拡充していくかが問題ですし、財源の問題は示されていません。私は月額2万6千円の子ども手当の予算を5兆3千億円もつけるのではなく、これまでの児童手当を拡充しつつ、保育所、学童保育などの施設を拡充していくことで、トータルな子育て支援策を検討していくべきだと考えています。

田村 しかも子ども手当の財源は扶養控除の廃止や、将来的には消費税など庶民増税でやる危険がありますからね。
さらに、新政権は、待機児解消を口実にして保育基準の緩和、つまり狭いところに子どもたちを詰め込んで、人手をかけずに保育するという方向に進んでいます。保育関係者や保護者から反対の声があがっていますが、親が子育てしにくい時代だからこそ、公的な保育制度を充実させなくては。


夏休みに体重減る


浅井 昨年『子どもの貧困白書』の編集にたずさわったのですが、いま子どもたちの貧困状況はすさまじいです。
 高校では修学旅行などの積立金を返してくれという家庭があるというんですね。それを生活費にまわすから、と。卒業アルバムもいらない、と。夏休みが終わると10キロくらい体重が減ってしまう中学生もいるそうです。給食がないからです。

田村 小学校では「朝ごはんカレンダー」が全家庭に配られて、朝食を食べた日をチェックする。でも、朝食を食べられない家庭があったら、そこにどんな問題があってどんな支援が必要なのかが大切だと思うのです。学校に提出するとなれば、食べてない子も食べたことにして出すでしょう。親を「せめる」だけでは問題が隠されてしまう。

浅井 「お母さん、もっとがんばれ」運動では、結局、親・家族責任へと向かうことになってしまいます。
 昨年初めて新政権が貧困率を調査・発表しました。一歩前進ではありますが、最近は全体の収入が下がっているので、貧困ラインも下がっています。数字だけを見ていたのでは実態が見えません。
 私たちが憲法25条で保障された「健康で文化的な最低限度の生活」を送るためには、「何が必要なのか」から考える必要があると思います。つまり、子どものいる世帯であれば、学校に行くことができる、衣食住が十分確保される、本を読んだり、旅行に行ったり、音楽や演劇にふれたりできる、そうした積み上げから、最低これだけの収入が必要だと明らかにする。そして、その水準にたいして親の収入が足りなければ、政治の責任でバックアップする。これがほんとうの貧困対策なのではないでしょうか。

田村 ほんとうにそうですね。私は「子どもをおなかに宿したときから、子どもが自立するまで『特別なお金』はいらない」という政治にしたいと思っています。いまは出産も、教育費も相当額の資金が必要です。これが親を追いつめ、少子化に拍車をかけています。「子育ては自己責任ではないよ。子どもの成長は日本の社会の力になるんだよ」と、政治がメッセージを送りたい。
浅井 政権が代わって公立高校の授業料が無料になることは大きな前進ですが、OECD30カ国では無償でないのは日本・韓国など4カ国だけ。大学まで無料という国が半数ですからね。

田村 秘書時代、学費問題を調査したのですが、びっくりしたのは、高校生に奨学金を貸す国は日本以外にはなかったのです。ほとんどの国が授業料無料のうえに奨学金も返済不要の給付が当たり前。ところが日本は授業料はとるわ奨学金は返済させるわ。さらに大学は世界一の高学費ですから、高校・大学と奨学金を借りれば、社会に出るときに900万くらいの借金を背負わされる。  国立国会図書館に、諸外国の教育費を調べてくださいとお願いしたときも、かえってきた返事は「フランスには教育費という概念はない。あえていうならバレエを習うようなときの費用だが、それでよいか」と。頭をなぐられたような感じでした。

浅井 先日、北海道の旭川で仕事があり、三浦綾子記念館に立ち寄りました。三浦綾子の小説に『泥流地帯』という大正から昭和にかけての北海道の貧しい開拓農民家族の話があるのですが、弟は勉強がよくできたのに、中学校に行かせるには生活費の半分くらいは学費に回さなければならないからと、家族で話し合って進学をあきらめるというシーンがあります。私はそれを読んで、まるで現代と同じではないかと思いました。
 1人の子どもの高校から大学卒業まで在学費用(授業料、通学費、教材費など)だけで1千万円以上、世帯収入にたいする在学費用の割合は約34%にもなります。年収200万〜400万円という低所得世帯で見ると、家計の半分以上を占めています。親たちは収入減と教育費の高騰で二重の圧迫のもとで子どもを養育しているのが現状です。


子育ての醍醐味


田村 子育ての負担感というとき、親として子どもに責任を負わなければならないという漠然とした不安も大きいと思うんですね。
 先日神奈川のお母さんたちと懇談したのですが、のびのびとした保育園生活を送ってきたけれど、小学校入学を前にとても不安だというんです。文字は学校で教えてもらえると思っていたのに、入学後すぐに“学校探検”があって、その感想を文章に書かせて廊下にはりだす、書けなかった子は白紙のままはりだされた、という話を先輩お母さんから聞いたというんですね。子どもの豊かな成長を保障する学校が、親を追い立てる場所になってはいないでしょうか。

浅井 「学力世界一」といわれるフィンランドでは、正解を早く見つけることよりも、考えるプロセスを大切にしています。そして、もし授業についていかれないなら、納得のうえで留年して、もう1年ゆっくり勉強するのです。

田村 息子は保育園の年長になっても、文字というものが分からなかったようです。ところがある日突然、文字の存在に気がついた。そして、文字らしきでたらめなものを書いて、これを読んでくれというんですね。とても感動しました。最初から教えるのではなく、子どもの発見につきあうのが、子育ての醍醐味だと思いました。
 その後も息子は鏡文字ばかり書いていたのですが、そのときしか書けない“宝物”なんです。それを「こんな文字書いてはだめ」と最初から矯正されたのでは、子どもからは学ぶ喜びを、親からは子育ての面白さを奪ってしまわないでしょうか。

浅井 ほんとうにそうですね。教育にとって大切なのは、不思議だな、面白いなと思うセンスを子どもたちにどうたくわえていくかなんですね。


子ども自身が権利の主体


浅井 ぼくは、これからの子育て支援策は地域ごとにきめ細かくやっていくべきだと考えています。そのときに目安になるのが、小・中学校区です。それくらいの小さな地域で、ふたたび学校をみんなが集まれる場所にしながら、子育て家族の支援もするし、子どもの成長も支えるし、学校の風通しもよくする。
 そして、これまでの政策は、子育ては家族の責任という発想でつくられてきたけれど、これからは子ども自身が権利の主体だという立場での具体策が必要ですね。

田村 ひとりひとりを大切にする施策ですね。
 街頭での相談活動で出会う若者たちの多くが、「どんな仕事でもいい」「食べられるだけのお金になれば」と話すのです。競争教育でふりおとされ、「使い捨て」雇用で傷つけられ、自分の力を社会に生かすという道が奪われている、これは若者にとってだけでなく日本社会にとって大きな損失です。

浅井 就職内定率が高校生で38%(昨年9月末時点)、大学生で73%(11月末)という異常事態ですから、希望をもって働くことはむずかしい。教育を受けても労働につなげることができないのですから、それを自己責任というのは無茶苦茶です。

田村 「ニート」という言葉が生まれたイギリスでは、学校を卒業しても進学も就職もしていない若者を、公費で資格を取れるようにしたり、職業訓練したりするシステムをつくっています。日本でもぜひ実現したいですね。

浅井 イギリスはアメリカや日本と同様、新自由主義でやってきたわけですが、ひとりひとりに必要なバックアップをする政治に明確にきりかえています。低学力問題も、教育委員会が校区ごとに個別に計画を立てて対応策を実行しはじめています。  ぼくは、日本でも昨年の総選挙で子ども・若者問題が初めて議論になったと思っています。これまでは政治の表舞台になかなか出てこない歯がゆさがあったけれど、これからは子育て・保育のことを国会で堂々と論戦してほしい。  「子どもの貧困」という問題は2007年に志位さんが初めて国会でとりあげて、国民的な運動にひろがりましたが、子どもや子育て家庭の実態が分かるリアリティーのある国会論戦を次は田村さんにしてもらいたい。

田村 私もぜひやりたいです! 国民の力で政治を変えつつあるとき、ほうっておいたら、国民の望む方向に進むとは限りませんから、政治を前に進める論戦をやりたいですね。

浅井 ぼくは、共産党は「3K野党」でいってほしいなと思います。建設的、健全、強固な基盤をもった党、という意味です。共産党はいい国会論戦をするけれど、議席が少ないから質問時間が足りない(笑い)。

田村 そうですね。今回は何としても当選して、子育てが楽しい国にするために国会で論戦したいです。

 

 



浅井 春夫さんのプロフィール



●あさいはるお 1951年生まれ。東京の児童養護施設で児童指導員として12年間勤務。現在、立教大学コミュニティ福祉学部福祉学科長。“人間と性”教育研究協議会代表幹事、全国保育団体連絡会副会長。著書に『子どもを大切にする国・しない国』(新日本出版社)、『社会保障と保育は「子どもの貧困」にどう応えるか』(自治体研究社)など多数