日本共産党参議院議員 田村智子 比例代表

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日本共産党 参議院議員 田村智子[比例代表]

プロフィール

1965年 長野県小諸市生まれ。自然豊かな浅間のふもとで読書や合唱三昧の小・中・高時代を過ごす。

早稲田大学第一文学部に入学。学費値上げ反対や核兵器廃絶など、多くの若者と一緒に声をあげ運動に取り組む。

1995年より8年間、日本共産党国会議員団事務局に勤務。石井郁子衆議院議員秘書、井上美代参議院議員秘書として活動する。

この間、日本共産党の参議院比例代表候補(1998年、2001年) 衆議院比例東京ブロック・東京13区候補(2005年)参議院・東京選挙区候補(2007年)として活動。

2006年12月、日本共産党東京都委員会副委員長に選出される。

2010年7月、参議院議員当選(1期目)。

2016年4月、日本共産党副委員長、常任幹部会委員に選出される。

2016年7月、参議院議員当選(2期目)。

2020年1月、日本共産党政策委員長に選出される。

家族 ― 夫と一男一女、母
趣味・特技 ― 歌、映画鑑賞、読書、ガーデニング

STORY

1965年

浅間山のふもと、長野県小諸市に生まれる。
実家は「紙・文具卸商」。

1972年

小諸市立野岸小学校に入学。
小学校4年生で合唱クラブに入部。小学校5年生のとき、NHK合唱コンクールで長野県代表に。

1983年

高校2年の修学旅行で広島に。原爆資料館の見学で、こんな悲惨な事実がありながらなぜ核兵器はなくならないのか、なぜまた核戦争を起こそうとしているのか、大きな衝撃と絶望を感じる。

1984年

早稲田大学第一文学部に入学。混声合唱団に入り、サークル活動に没頭。
大学側の一方的な学費値上げの理不尽さに怒り、反対運動に参加するように。

1985年

民青同盟に入り、核兵器廃絶運動や国鉄分割民営化反対運動などに取り組む。運動を通じて世の中を変える生き方があることを知り、日本共産党への入党を決意。

1988年

大学卒業まで合唱団と民青同盟、その合間の勉学という日々を過ごす。人間の尊厳をふみにじる政治を許せない、政治や世の中を変えることを職業にしたいという思いが大きくなり、民青同盟の専従者に。

1993年

6月に結婚。私たちの運動は決して孤独ではない、明るく希望に満ちていると「両親や親戚に私の生き方を伝える場にしたい」と思い、大勢の仲間の参加で大盛況な結婚式に。

1997年

国会秘書に。主に教育分野を担当し、学校図書館法や30人学級、若者の就職難、母子家庭への児童扶養手当削減、非常勤職員の待遇改善など、たくさんの問題や国会論戦に関わる日々。

1998年

参院選比例候補に

2000年

石井郁子議員秘書として学校図書館調査

2003年

7年間国会議員の秘書として活動し、庶民生活と政治があまりにかけ離れていると痛感。衆議院東京13区の候補者に。

2010年

参議院議員初当選。現場に足を運び、見つめ続けて胸に刻んだ沢山の声やくらしの実態を、政治に届けると決意。

2010年

8月6日、初めての質問。厚生労働委員会でB型肝炎訴訟についてと、社会保険病院の存続について。

2013年

居酒屋チェーン「ワタミ」の無法な長時間労働と低賃金を質問で明るみに。内容不明の天引きや、過労死ラインを遥かに超える時間外労働など、元社員の声から苛酷な労働実態を告発。

2016年

2期目当選。内閣委員会を担当。

2019年

安倍総理(当時)主催の「桜を見る会」が大問題に。野党合同の追及チームに入り、徹底的に調査。鋭い論戦で注目の的に。

2020年

コロナで生活困窮者が増加したことを受け、生活保護は権利だと政府が周知するように求める。後日、厚労省のリーフやホームページに「生活保護は国民の権利です」の文言が。

2022年

国立大学・研究機関の非正規研究者4500人が、年度末までに雇い止めにされる恐れがある事が質問によって判明。ニュースでも報道され、大きな話題に。

「核戦争3分前」の時代
原爆資料館で感じた衝撃と絶望

高校の修学旅行で広島へ。 米ソの核開発がすすみ「核戦争3分前」と言われていた時でした。NHKでは「核戦争後の地球」が放映され、核シェルターが開発されるなど、現実に核戦争が起きうるという、漠然とした恐怖が私の心にも沈殿していました。
原爆資料館で目にした、被爆した人のもんぺ・防空頭巾、瓦礫と人骨が溶けた塊…。人が人として死ぬことさえ許さなかった、骨をとりだして埋葬することさえできない人がここにいたのだと思うと、いたたまれず黙祷したまま動けなくなりました。
このとき、私は打ちのめされていました。こんな悲惨な事実がありながら、なぜ核兵器はなくならないのか、なぜまた核戦争を起こそうとしているのか、人間はどうしてこんなに非力なのか。これは、大学で民青同盟と日本共産党に出会うまで、秘められた大きな絶望となって刻まれていたのです。

大学の学費値上げ反対運動に参加
日本共産党との出会い

早稲田大学入学から半年後、大学当局が授業料の値上げを発表。反対運動が学生の中に起こり始めました。「これで庶民の早稲田といえるのか」という疑問が芽生え、理不尽さに怒りを抑えきれず、少しずつ運動に協力するようになりました。集会、ストライキ、総長と学生との交渉。道理が通らない大人社会を目のあたりにする日々でもありました。この運動の中で、日本共産党に入っている学生たちが、社会に真剣に目を向けていることを知りました。
その頃始まっていたもう一つの運動が、核兵器廃絶を求める国際署名です。広島を訪れて以来深く刻まれた絶望が、希望へと変化するときでした。日本共産党の「核兵器は廃絶できる」という主張を学び、日本と世界で広がる運動を知ったからです。
政治や社会の問題を傍観せず、間違っていると思うことに対して発言し行動する。その大切さを感じながら、1985年10月、日本共産党への入党を決意しました。

「桜を見る会」
政権の腐敗追及で大注目!

2010年7月に初当選、翌年から予算委員会での質問に立ち、歴代5人の総理大臣と毎年論戦。
2019年11月8日、総理大臣主催の公的行事「桜を見る会」が、安倍総理によって規模も予算も大幅に増やされ、事実上の「後援会祭り」となっていることを追及しました。「しんぶん赤旗」日曜版のスクープとともに、SNS上で大きな注目を集め、翌週からテレビ・新聞などの取材が次々に。
質問直後に、「桜を見る会」は翌年から中止すると菅官房長官(当時)が会見。また、安倍晋三後援会による「桜を見る会」前夜祭は、政治資金規正法違反として秘書が起訴される事態となりました。
この質問は、国会内の野党共闘を大きく前進させ、野党合同ヒヤリング、野党合同の追及本部による調査などが次々と取り組まれ、私も他党の議員のみなさんと新たな信頼関係を築くことができました。
「国会が面白い」「国会を見てみよう」――こんな声が広がったことも「桜」効果だと実感しています。国会質問の動画がSNSで拡散される時代をつくることができたのは、何よりもうれしいことです。