日本共産党 田村智子
コラム

【14.09.10】米軍基地に取り囲まれた日本人住宅その2

「9・11直後は家に帰ることもできなかった」――米軍とのたたかい

米軍根岸住宅地区の敷地に取り残されたようにして住む、佐治さんご夫妻。
この家は、妻のみどりさんが生まれ育った家とのこと。
「父は航空自衛隊に勤めていましたから、様々な不利益や制限があっても、国に対して何かいうことはしない、と決めている人でした」と、みどりさん。
「でも、私たちと同じ思いを、子どもたちにまで残したくない」、それが国を提訴した一番の理由だと言います。

佐治さんは、夫の実さんが建築・土木の専門的な仕事をされてきたとのこと。
退職を機に、なんとかここの土地活用ができないかと、横浜市に様々な資料をもって話にいきましたが、米軍から、資材を運び込む車が入ることはできない、業者が多数デイ入りすることもダメと拒否されました。
国は土地の購入にも買い取りにも応じない、民間でどこかに売ることはできないかと査定してもらうと評価額はゼロ。
それなのに敷地は磯子区と一部中区にもかかるために、固定資産税を二つの区に収めているのです(評価額は接収前の数字を元にしての計算のようです)。

米軍基地の中に住まなければならない、そのために受けてきた不利益は話しても話しても足りないほどだとわかります。

「この家は窪地のようになっていますが、周りを盛り土して、私たちを囲みこむようにマサキの生垣が植えられたんです。米軍住宅から私たちの家を見えなくした。
道路が高くなったので車は敷地に入れず、路上駐車です。車が入れないことを理由に、この住所では車庫証明も出してもらえなかった。仕方なく全く別の場所を確保して、車庫証明をとった。そのことは役所も知りながら、何もしようとしないのです。」

「隣の家との測量さえ、お願いしてもできない。米軍基地との境界線のために国が行った杭打ちと、横浜市の杭打ちも、食い違っている。こんなことは許されないはずなのに、ここではまかり通るのです。」

「宅配便が届かないことも何度もありました。特にメール便、子どもたちの入学手続きなど、書類が届かず困りました。
宅配便も、車のナンバーと運転手の名前を事前に私たちが届けないと入れない。でも、運転手がずっと同じということはないでしょう。業者にとっては手続きも煩雑なので、そのままにされたこともあると思います。こちらから問い合わせて、やっと届くこともありました。」

「救急車を呼ぶのも米軍の許可が必要。父はガンで他界しましたが、病院からはもうこれ以上、一般の病室には入院させられないので退院をと言われても、何かあった時、救急車を呼べないだろうと、やむなく、特別室で入院を続けました。経済的な負担は大きかったけれど、家では介護の利用もできないし、訪問看護も、そのたびに手続きをしないといけないのですから、無理だと思いました」

「米軍が戦闘状態になると、私たちの制約も厳しくなる。
9・11の時は本当に大変でした。顔を知っているはずなのに、ゲートの中に入れないのです。なぜ家に帰れないのかと詰め寄っても、無視。私もさすがに怒りまして、ゲートの正面に車を止めたままにしたんです。これでは、米軍の車も通れない。とうとうパトカー4台が駆けつける騒ぎになりました。
警官は、静かに自分の家に帰るようにと言うので、私は最初から家に帰ろうとしていた、それを通さないのが米軍ではないか、と抗議しましたが、日本側から米軍になんの働きかけもありませんでした」
「息子たちが来た時も、車からすべての持ち物、スペアタイヤまで下ろすように求められるのです。徹底的なチェックを受けなければ中に入れなかった」

この事件から、佐治さんは居住者に通行証を出すようにと自力で求めて実現させたそうです。
自分の家に入るのに、米軍の許可書が必要というのは納得いかない、けれどこんなことを繰り返していたら生活が成り立たない、やむなくの選択だったのです。

「私たちの敷地に入ろうとする米軍人に注意をして銃を向けられたこともある。基地内で働く日本人も銃を携行している。私たちは、銃を当たり前に持っている人たちに囲まれて住んでいるのだと考えると恐ろしくなります」
「ここは敵地なのか。戦争はまだ続いているのか、と言いたいのです」

問題はこれから一層深刻にもなりえます。
米軍からは、来年、根岸住宅はクローズすると言われているとのこと。
これは、佐治さんにとってはライフラインの断絶を意味します。
佐治さんの家の電気は、米軍の変電施設を経て引かれています。これまでも、保守点検の知らせもなく行われ、突然の停電という経験を何度もしているのです。変電施設を閉められたら、電気は途絶えることに。
水道水は、止められなかったとしても、米軍住宅385戸への供給を想定したパイプの太さ。その容量では、たまり水を使うことになり、衛生上の問題も生じます。
米軍は使わなくなった施設をすぐに返還せずに、しばらく塩漬けにすることも。その時にゲートをすべて閉じられたらどうなるのか。ゲートが開いたままだとしたら、空き家の管理は誰がどうするのか。

佐治さん夫妻は、これまで国からは「存在を認められていない」扱いで、自ら米軍との交渉を繰り返して生活してきたと言います。
私たちは、この不条理を知った以上、このままにはできません。佐治さんのたたかいの輪に私も加わらなければ。