ともここらむ

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「保育園落ちたの私だ」に政治はどうこたえるか(2)

3月24日のBS日テレ「深層News」に続き、3月30日のBSフジ「PRIME NEWS」に生出演。「保育園落ちた」の匿名ブログが契機となり、保育所待機児童問題の深刻さが、広く知られるようになりました。前回の「ともこコラム」では、そもそも認可保育所をつくろうとしなかった政治の責任を書きました。一言でいえば――必要なのは「受け皿」ではなく「保育所だ!」

今回の「ともこコラム」は、保育士に焦点をあてます。

 

「保育士の給料がなぜ低いのか」(キャスター)

――「単なる子守という位置づけだったのでは? 専門職としての評価が必要」(田村)

保育士の平均給料は、全産業平均と比べて月額で10万円安い。保育士資格を取得しても半数以上が保育士にならない。保育士不足が保育所増設の足かせになっている。

待機児童の問題で保育士の処遇がここまで注目された、本当に嬉しいです。社会福祉の職場は、保育も介護も児童養護施設なども、職員の処遇はあまりに低い。国が保育所運営への公費分として、保育士の給料基準額を決めていますが、勤続6年で20万円を切るのです。昇給は年3000円ほど、しかも11年勤続までで上げどまり。そのほか、子どもの人数に応じた配置人数の基準も実態とかい離していているなど、保育士さんの給料が安くなるからくりがいくつもあります。こうした国基準の抜本的な改善が必要だと、私も、他の日本共産党の議員も、これまで何度も国会でとりあげていたのです。

BS日テレ、BSフジとも、番組のなかで問われたのは、「なぜこんなに給料が安いのか」ということ。

与党の議員は「キャリアパスがない」「部長などのポストに匹敵するポストをどうするか」という発言。

「保育士は部長になりたいんじゃないですよ。経験を積ん専門性を高めながら、保育士として働きたい、それを評価した給料にしてほしい、ということ」「けれど政府は、保育を『子守』程度に位置づけてきた、それが安い給料の根っこにあるのでは」と私。

予算委員会での質問(3月14日)の準備の過程で、欧州では、保育士の処遇を小学校教諭と同等にしている国が多数あることがわかりました。日本でも、保育とは何か、保育士の専門性に対する評価をしっかり議論することが必要だとつきつけられる思いでした。

 

「日本の子育て関連予算は少なすぎる?」(キャスター)

――「EU諸国が乳幼児期のケアと幼児教育の予算を急増させたのはなぜかに注目を」(田村)

子どもへの「投資」は早ければ早いほど効果が大きい――90年代、欧州ではこのことが何度も議論され、乳幼児期のケア(保育)と幼児教育への公的支出を少なくともGDP比1%以上にする、という目標が立てられました。

「投資」という言葉には違和感を感じますが、つまりは、子どもは生まれてすぐから公的に成長を支援することが重要だという議論です。乳幼児期にどれだけ土台を耕すかで、次の学びのステージが決まってくる。ケア(保育)と幼児教育をどれだけ良質に提供できるか、ということです。

これも質問準備の過程で知り、日本の待機児童対策とのあまりの違いに頭をガツンと殴られたようでした。日本は「質」を置き去りにして「受け皿」つくりに突き進み、その誤りを、今日また繰り返そうとしているのです。

 

「待機児童対策は、自治体の責任か国の責任か」(キャスター)

――「第一義的には自治体。同時にこれまでの国の政治に反省が必要」(私)

この問いは「PRIME NEWS」の冒頭の問い。言いたいことがてんこ盛りなのをギュッと凝縮しました。

「待機児童の定義を変えて過少にカウントさせた、認可保育所とくに公立保育所はコストがかかりすぎるからと、まじめに認可保育所をつくらなかった。それどころか、公立保育所への国の補助金を廃止して、公立つぶしを行ってきた。この反省が必要」

公立つぶし――都内23区、全国の都市部で、90年代以降、この攻撃はすさまじいものでした。公立保育所の保育士は公務員です。給与も各自治体の公務員の基準です。これが国の基準と大きくかい離していました。

「公務員を減らせ」という攻撃、「コスト削減」という圧力。これは民間の保育所にも大きな影響を与えました。多くの自治体で、公私間格差是正の補助金が廃止・縮小されていったのです。

さらには「民間にできることは民間に」「保育の規制緩和」が急速にすすみ、株式会社が保育所を経営。保育の経費は7割以上が人件費と言われています。利益を得るために人件費を抑える以外にない、こうして給料はどんどん引き下げられていったのです。

自治体にも、「保育」とは何かをとことん問いかけていきたい。お庭のある保育所で、保育室もちゃんとすぺーすがあって、子どもたちがのびのびと遊ぶ、若い保育士も、経験ある保育士も一緒に、子どもに寄り添い、子どもの成長を支えていく、家庭ではできないような育ちの場があってこその「保育」ではないのか。


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